お知らせ

第41回流通懇話会

砂糖特約店の持続的発展のために

=近江商人の三方よしの理念に学ぶ=

 

只今ご紹介に与かりましたメルクロス株式会社の西川でございます。

第41回流通懇話会の前座講演をするようにと事務局長から依頼されましたので少しお時間を頂戴し、「砂糖特約店の持続的発展のために 近江商人の三方よしの理念に学ぶ」と題してお話をさせていただきます。

 

話の流れとしまして弊社の出身地である近江の近江商人のご紹介、次に近江商人の理念である三方よしについて、精糖業界の現状確認、そしてこの「三方よし」の理念を元に砂糖特約店が持続的発展のためにどのように活用すべきかを考察してまいりたいと思います。最後に農水省はじめ国が中小企業の持続的発展を推奨している状況もご紹介させていただきます。

只、近江商人の特性をご説明する上で、弊社の自慢話に聞こえてしまう部分があるかもしれませんが、話のつながりや信ぴょう性を担保するうえで必要なものですのでご容赦いただきたくお願いいたします。

又、私自身歴史学者でも市の歴史研究職でもないので、こうした講演会は不慣れですのでお聞き苦しい点もあろうかと思いますがご容赦願います。

 

まず、メルクロスの紹介から始めさせていただきます

メルクロスは1585年天正13年、ちょうど豊臣秀吉が関白になった年、滋賀県の近江八幡市で創業した典型的な近江商人です。 お陰様で今年440年を迎えました。ちなみに現在の社名に変更したのは1994年です。

 

近年、近江八幡市は安土城のある安土町と合併しましたが、双方共古くから栄えた土地であります。 今年はたまたま、近江八幡市を中心とした国際芸術祭である琵琶湖ビエンナーレが開催される年でもあり、弊社の本家も展示会場として提供させていただいております。 本家だけでなく近江八幡市内の古民家を中心に前衛の芸術作品が展示されております。 琵琶湖ビエンナーレは1116日まで開催しておりますので、もし機会があればお立ち寄りいただければ幸いです。

 

皆さん、まず400年越えというと驚かれますが、長寿企業ランキングで行きますと世界371番目、国内32番目となります。 只、弊社のお客様の中にも、600年超え、500年超えと続いているお菓子屋さんもございます。 日本は長寿企業国でありまして、2位のドイツを大きく引き離しての1位という事になっています。

 

創業当時は地元の特産品である畳表や蚊帳などを扱って行商していたようですが、後に九州の薩摩藩とも取引があったらしくそのころから黒糖なども扱っていたようです。

弊社の砂糖の商いは正式な記録が残っているもので1840年後半の江戸の砂糖卸組合の名簿に記載されているようです。 当時こうした物産は大阪から廻ってくるものが多かったことから、大阪店はもう少し早くから砂糖を扱っていたのではないかと思います。

 

取引形態はまず、天秤棒を担いでの行商からスタートしましたが、江戸時代初期には大阪、江戸にそれぞれ出店を作り、販売拠点を設けたようです。 出店には参勤交代のような形で手代はじめ使用人を近江から派遣し一定期間勤めた後、近江と出店を交代で行き来していたようです。 当主は近江の本家にいて、実質的には番頭がビジネスを取り仕切っていました。

近江商人も出身地により、八幡商人、高島商人、日野商人、五個荘商人と呼ばれます。 八幡商人としては西川産業さん、弊社がおり、伊藤忠商事さん、丸紅さん、ワコールさんは五個荘商人、高島屋さんは高島商人、武田薬品、八尾百貨店さんは日野商人です。 大丸さんも近江の流れを汲み、「先義後利」や「大文字屋」という屋号は弊社と同じです。

余談ですが、商人という言葉の起源を皆さんご存じでしょうか。商いをする人だから  それでは商いという言葉はどこから来たのか。

今から4000年前、中国の黄河流域で栄えた実在が確認された最古の王朝である殷という国がありました。 この殷はBC16世紀からBC11世紀まで栄えましたが、暴虐な王 紂王の代に周国によって滅ぼされました。 紂王は酒池肉林という言葉を生むほど残虐で放蕩な王だったようです。 この殷の首都が商と呼ばれていました。

周に滅ぼされた後、商の人々は諸国に散らばりモノを売って歩いていたことから、商から来た人 しょうびと と呼ばれるようになりました。 そこで、モノを売る歩く人=商人となったという説があります。

 

日本三大商人というと、近江商人、伊勢商人,浪速商人と言われておりますが、その中でも近江商人は早いうちから近江の国を離れ各地を行商して回ることを特徴としていました。

なぜ早くから商人を輩出したかという理由はいくつか挙げられております。

 

  • まず最初に挙げられるのが楽市楽座の存在です。  1577年織田信長が安土で開いた楽市楽座で自由な商業を奨励しました。特定の組合や、寺院に独占されていた市場に誰でも参入できるようにした仕組みです。 織田政権崩壊後豊臣の時代となり、秀吉の甥にあたる秀次が1585年に八幡山城を築城し、安土の商人や職人を呼び寄せたため商業が盛んになったという説です。

 

  • 次に考えられるのが国内産業不毛説です。 近江の国、現在の滋賀県ですが真ん中に琵琶湖という県面積の1/6を占める湖を抱えています。 琵琶湖の周りには若干平野が広がっているものの、周りを山に囲まれているため農業に適した土地が少なかったこと、湖における漁業は盛んでしたが淡水魚のみであり、保存方法も塩漬け、つくだ煮しか特産品が育たない土地柄でした。

特産品とすれば湖岸に生えるヨシです。 アシとも言います。 同じ植物を指しますが、アシは悪いにつながることからゲンを担ぐ上方のほうではヨシと呼ばれます。 このヨシからよしずを作ったり、イグサから畳表を作ったりしていました。 中でも麻で作る蚊帳は16世紀ころから盛んとなりました。 西川産業さんはこの蚊帳と畳表で財を成したことは有名です。

こうした事情から国の外に出て外貨を稼ぐ素地があったという説です。

 

  • 又、近江の国は上方と東国を結ぶ東海道や中山道、日本海と京都を結ぶ鯖街道と呼ばれた若狭街道、北国街道、北国街道西廻りといった東西南北街道の交差点であったため、人や情報、物の行き来がしやすかったからという説があります。

他にも色々説はありますが、恐らくこの3つが代表的なものです。

 

なぜ行商スタイルが生まれたかは諸説ありますが、今申し上げたように領内における産業に乏しく、持ち運べるものが少ないうえ、小資本で始められたからではないかと言われています。

その後、近江商人は地の利を生かし、天秤棒を担いでの行商スタイルから馬や牛を使った商隊、つまりキャラバンを組み陸上運搬、廻船を利用した海上輸送を駆使することで販路を広げていきました。 当時の山越えや川越えはいわば命がけでした。 山越えには山賊に襲われる危険性があり、川越えでは水に流される危険性があったからです。 ある学者は近江商人のキャラバンはいくつかの商家が組んで行っていた可能性があると述べています。

 

当時の消費地は何と言っても江戸、京都、大阪でした。 この区間を行き来しつつ、薩摩や東北の情報、物産をこの消費地に運んでくる手はずを整えることで財を蓄えていったと考えられます。

近江商人の活動範囲は広く長野、北陸、山形、奥羽、北海道などにも定着しそこを基盤として商売を行ってきたという歴史があります。 その土地に深く入り込み、信用を得てビジネスを行って定着していったのでしょう。

つまり、上方や江戸の情報、各地の物産情報を提供することでビジネスチャンスをつかんでいったのではないかと想像されます。 当時の幕藩体制は隣の藩でもいわば外国であり、人の出入りは厳しく制限され情報は自由に流れるわけでは無かったからです。

 

近江商人は各地を廻る中で、「上方ではこんなものが流行っているよ。」「江戸ではA商品が品薄なようだ。」「今、京の町中で流行っているのはこれだよ。」「ある地方の今年の冬は寒さが厳しいらしい。」等々

恐らく近江商人は土地ごとの価格差や、その土地における需給の関係といった情報には価値がある考え、それを武器に販路を広げたのではないでしょうか。 近江商人は薄利多売が基本ですが、決してモノの値段が安い高いだけでビジネスを行っていた訳ではないと思うのです。 商品+情報が提供価値であり、こうした情報を届けることは買い手にとってコスパやタイパ が良かったのでしょう。

 

近江商人の代表する言葉の中で良い方の言葉として「売り手よし 買い手よし 世間よし」という三方よしというのがあります。 逆に悪い方の言葉として、「近江商人が通った後にはぺんぺん草も生えない」という言葉もあります。

良い方の「三方よし」ですが、これは一種の思想、理念だと私は感じています。 この言葉を説明するには近江商人の行動様式やビジネススタイルをご説明した後でないと中々ご理解頂けないのではと思っていますので後でご説明します。

 

逆に近江商人を揶揄する言葉として「近江商人が通った後にはぺんぺん草も生えない」というのがあります。 これは近江商人の得意とする、のこぎり商法のことを指します。

近江商人の「のこぎり商法」とは、行商の往復運動が木を挽くのこぎりの動きに似ていることから名付けられ、商品の販売と仕入れを同時に行う「持ち下り商い」と呼ばれる効率的な商法を指します。 地方で仕入れた特産品を都市部で販売し、その売り上げを元手にその土地の品物を仕入れ、別の場所で売ることを繰り返すことで、少ない元手でも無駄なく商品を回転させ、利益を積み重ねていきました。 そうすることでその土地のニーズを満たし、同時にその土地の利益に貢献することで、後から来た商人たちは売るものもなければ買うものもない、つまりぺんぺん草も生えない荒野になってしまっているという事を指しています。

先ほど申し上げた三大商人にも共通していることかもしれませんが、近江商人らしさとして4点あげられると思います。

1点目は明確な事業哲学を持っていた。

2点目は粘り強さ。

3点目は徹底した店員教育。

4点目は分家、別家制度

 

1点目の明確な事業哲学とは伊藤忠商事さんはじめ多くの企業が掲げる「三方よし」や高島屋さんの店是のである「自利利他」のもととなった「先義後利」が挙げられます。

弊社の家訓にも「先義後利栄 好富施其徳」義を先にし利を後にするものは栄え 富を良しとしその徳を施せ とあります。

 

2点目は粘り強さです。近江商人の行商スタイルの中でこんな逸話があります。

近江商人と他国の商人が群馬県と長野県の境にある碓氷峠で出会いました。 他国の商人は「この険しい峠を越えるのは本当に難儀なことですね。 出来れば百姓でもやっていた方がどんなに楽だったか」 それに対し近江商人は答えます。 「私はこの峠がもっともっと険しければと思いますよ。 なぜなら、険しければ険しいほどそこに行商に行く人は少なくなるでしょうから。 峠を越えれば私しか物を売る人がいないブルーオーシャンが広がっているではありませんか」

まあ当時の人がブルーオーシャンという言葉を知っているとは思いませんがそれに似た感覚を持っていたんでしょう。

つまり、儲けの為ならば、そこにいる人の為ならば苦労を厭わなかったという事です。

 

3点目は徹底した店員教育です。 当時は10歳にも満たない子供が丁稚として入店してきました。 彼らは昼間は店の雑用を叩き込まれ、一人前になるには10年以上奉公しなければなりませんでした。 そうした丁稚に徹底的に教え込んだのが  「算用、始末、きばる」でした。

 

算用は勿論そろばんによる四則計算であり、ビジネスに欠かせない計数感覚です。

始末とは読んで字のごとし、始まりと終わりです。 つまり、何か始めたなら、終わりもしっかり締めなければならない。 という意味になります。これは整理整頓から始まり、最後まで使い切ることで無駄遣いをしない、店の仕事や掃除、ひいてはお客様に依頼されたもの、お客様からのクレーム全てのことに繋がります。 終わり良ければ総て良しという言葉があるように、最初と最後をしっかりしなければ物事は終わらない。いい加減なことはしてはいけない。 という教えです。

そして、最後の「きばる」ですが、これは頑張る、諦めない、一生懸命働くという意味です。ただでさえ薄利多売を基本にしてきているわけですから、質素な生活をしても限られた利益でお客様にご満足いただけるような商売をしなければいけませんよという事です。これを幼少期から叩き込まれ、近江商人が育っていったのです。

4点目は分家、別家制度です。 分家とは本家から独立し新たな家を立てることで、同じ氏を名乗りながら本家と隣接した商売を行ったり、新天地で本家の助力を借りながら商売を始める制度を指します。 又、別家制度とは丁稚からの奉公を勤めあげ、成果を上げたものに事業を起こさせる制度です。

これらをのれん分けとも言います。 のれんとは信用であり、本家の信用力を分家や別家に貸し与えビジネスをスムーズにスタートさせる狙いがありました。 のれんを分けるときには本家は様々な援助を行い、家訓の掛け軸を与えたり、資金援助も行っていたといいます。 逆に分家、別家とも本家の存亡の危機に陥った際には事業を吸収したり、本家の名跡を継いだりして本家を守りました。 実際私共の祖先も本家から3代目の時分家し、別々の商圏で事業を行っていましたが、本家の跡継ぎが絶えた時、息子を養子に出したり、事業を吸収したりして名跡を継続させたとあります。

 

そして皆さんご存じの「三方よし」ですが、実はこの言葉自体は近江商人自身が語ったわけではなく、1988年近江商人の研究家である滋賀大学の名誉教授が近江商人の気質を調べていくうちに共通の概念があることに気づき「三方よし」と名付けたようです。     1990年代には日本的経営の標語のように使われ、最近ではSDGsの基本理念を表す言葉として再び脚光を浴びるようになりました。 2022年にはハーバードビジネスレビューでも取り上げられ、企業の永続性を考えるうえで世間という地域や社会、ひいては社会環境のことを考えなければならないという事の象徴的な言葉として紹介されていました。

 

ビジネスは売り手にとっても、買い手にとっても世の中にとっても利益にならなければ継続はできない。 つまりビジネスはWin-Win-Win、利他の精神、社会貢献の精神が必要であるという意味です。

Win-Winだけの関係ですと、麻薬の取引や銃の取引にも成立してしまいます。 そのビジネスが社会に役立つものか、社会貢献ができるものかが重要な最後のWinになるわけです。

 

只、当時は社会貢献とか経済といった概念がなかったため、商人たちは儲けたお金で慈善事業を行っていました。

村の橋をかけ替える、道路を整備する、文化的な面では俳人や歌人のパトロンとなるなど、今でいう公共投資のようなことを表に出ずに行っていたようです。 これを陰徳を積むといいます。 今では税金という形で皆さんの会社や個人が納めたお金で公共投資など行われていますが、結局皆さんが間接的に社会貢献していることになります。

当時の商人はお金を儲けることは悪いことではなく、どのように使うかのほうが重要に考えていたことになります。 「お金は廻さなければ自分のところへは戻ってこない」という事を肌感覚で分かっていたのかもしれません。

 

0歳以上の方ならご存じかもしれませんが、テレビドラマの水戸黄門や時代劇に出てくるような場面で悪代官に悪徳豪商がわいろを掴ませ、うまい汁を吸うパターンがあります。蔵に千両箱をため込み、悪代官から「近江屋、おぬしもワルだのう」と言われるのが定番ですが、実はこうした商人はほぼいなかったのではないかと思われます。

なぜなら、当時の商人は社会貢献してこそビジネスが継続することを知っていましたし、人に恨まれるような商売は長続きしないと考えていたからです。

弊社本家の鴨居にはこんな額がかかっています。

 

商人は身の丈に合った生活をし、商人という本分を忘れるなということでしょう。

 

さて、今回、自慢話のようなことを前振りにしたかというと、440年続いた会社だからと言って10年後存在しているかどうかわからない時代に突入しているということを今日ここにお集まりの皆さんとの共通の認識として持ちたかったからです。

いかに自らが儲け、お客様にも儲けていただくか、そしてそれが社会全体に富をもたらすかを考えなければ存続できない時代の節目に来ているからです。 お客様に儲けていただくためには、まず、自らが儲けなければならない。 事業を継続できなければ、結果的にお客様にご迷惑をおかけすることになってしまいます。 同時に従業員にもより良い明日の暮らしを提供できなければ、働き手はいなくなってしまうでしょう。

 

次に精糖業界の現状について確認しておきたいと思います。

まず、我々の供給元である国内精糖メーカーさんの変遷を見てみましょう。

 

ここ20年から30年の間にこれだけの精糖メーカーさんが合従連衡、事業吸収や事業再編を余儀なくされてきたことか。 大変なご努力をされてきたわけです。

製糖事業は明治期においてはかの渋沢栄一らが殖産興業の為にいわば国策に沿った形で進められました。 その後台湾を得たことで一挙に供給量が増えました。その後第二次世界大戦を経て幾多の製糖メーカーが作られました。

その後三白景気や2度にわたるオイルショック、製糖メーカー乱立による過当競争、豪州との長期契約による業界の疲弊、代替甘味料の登場、加糖調製品の流入などを経て、業界全体がシュリンクしていきました。

結果として現在では首位2グループで65%のシェアを握る寡占状態に至ったことは皆さんご存じの通りです。

 

一方特約店組合加入数は2000年に174社あったものが2025年3月末時点で133社と41社減少しました。 実に25%の減少です。 特約店の場合、他に資産をお持ちであるケースが多く、2010年ころまでは資産を残しての廃業という形で事業をお止めになるケースが多かったようです。 只、近年の傾向として後継者不足による事業譲渡という形での減少が多いようです。

 

日本は30年間続いてきたデフレ状態から世界的インフレ状態に巻き込まれようとしています。 全世界的なコロナ禍による経済の停滞を経て、2022年に勃発したウクライナ・ロシア紛争によりモノの値段が上がり、例にもれず食品類も大幅な値上げを余儀なくされました。 実際、皆さんは2020年以降精糖の値上げにご苦労されてきました。

只、この間お客様にご負担いただけたのは精糖価格の上昇部分だけというケースがほとんどだと思います。 中にはいまだ満額転嫁できていないお客様もいらっしゃるかもしれません。 パワーバランスやライバル企業の存在が価格を上げたくても上げられない状況を作り出しているからかもしれません。

 

今回の各製糖メーカーが相次いで値下げを発表しました。 11月から約3%の値下げが実施されます。

今回の価格形成には2つの特徴があると思います。

1点目は、従来値上げの際に、国際相場の上昇を主な原因として、その他コストの上昇は付け足しのような説明をしてきました。 「その他コストも上がっていますし」といった言い訳です。

しかしながら、今回は糖価の国際相場の値下がり分とその他コストを相殺した後の下げ幅という説明になっています。

もう1点はビート糖と小袋の価格形成が従来と異なるという点です。 ビート糖に関しては工場の再投資コストをも織り込んだ価格形成となっています。 国内産糖が疲弊すれば糖価調整制度自体が成り立たなくなってしまいます。 その為には設備投資資金を含めた価格形成が必要になったという事です。 小袋は2020年からの値上げでも量販店を中心になかなか値上げを認めてもらえないケースが多く、原料相場連動価格制には無理が出てきているということでしょう。ゆくゆくは定額化していくのではないでしょうか。

翻って、我々特約店のオペレーションコストも確実に上昇しています。 燃料費、運送費、人件費、固定資産税、金利など目に見えないコストの上昇分を合わせると、恐らく今回の3%を全て吸収してもまだ足りないのではないでしょうか。

勿論お客様も精糖の価格が下がることを望んでおられるでしょう。 最終製品の値段が上がっていない為、利益が圧縮されているケースもあると伺います。

只、今回の値下げをそのまま当てはめてしまうと、我々特約店の利益体質は変えることができません。 皆さんが生活していくうえで、事業を継続していくうえで1円でも2円でも自社に残す努力をすることが商人の本分ではないでしょうか。 お客様に丁寧に物価上昇をご説明し、粘り強く交渉すること。これが三方よしにつながり社会全体に富をもたらすことになるのです。

 

確かに、長いお取引を頂いているのだから価格は下げたほうが良い、今までそうしてきたのだからルールは変えず今回もそうすべきだ。 とお考えになる方も多いでしょう。

しかし、努力をしないであきらめるより、諸経費の上がっている特約店の現状をしっかりご説明し、ご理解を頂く良いチャンスでもあります。

 

そもそも特約店の存在意義は何でしょう。

メーカーから見れば特約店を指定することでロイヤリティのあるお店によって安定した販売網を得られます。 又自社製品を大切に販売してもらえるため、ブランドイメージを毀損することなくイメージの維持向上が見込まれます。 自社社員だけではカバーしきれないお客様に対し販売促進をしてもらえ、商品の保管、配送、」代金回収を託せるので、ヒト、モノ、カネの節約になります。

 

特約店から見れば製品の販売権を得ることで他社に比べ競争優位性が得られます。 同時にメーカーからの強力なサポートを得ることでお客様により良いサービスを提供できます。 メーカーからの製品情報や専門知識を引き出し販売に活かすことにより効率的な販売をすることができます。

 

従ってメーカーと特約店はお互いにWINWINの関係であり、お互いに儲けることで社会還元のWINが成立することとなります。 同じように特約店とお客様との間にもWIN-WINが成立することとなります。

 

今年に入ってから、農水省はじめ省庁から企業に向けて合理的価格形成を行い、賃上げと投資を行う事が出来るような企業体質を作るよう要請が出ております。 3月には江藤前大臣から、9月には小泉大臣から同様の要請がされています。

要請文の冒頭の部分をご紹介します。

政府では、「賃上げこそが成長戦略の要」との考え方に立ち、賃上げの流れを中小企業等

で働く方々まで、そして、取引の上流から下流まで広く行き渡らせるために、賃上げ原資

確保の重要な要素である価格転嫁・取引適正化を進めることが重要と考えています。 また、サプライチェーンの隅々まで価格転嫁を浸透させることは、サプライチェーン全体で利益を共有し、賃上げ・投資を促し、取引先により支えられている発注者自身の製品・サービスの競争力強化にも繋がるものです。

 

特に中小企業に対し価格転嫁の努力を行い賃上げによってコストカット体質の負のスパイラルから正のスパイラルに方向転換することが今の日本に求められていることと言っています。

3月と9月には価格交渉月間を設け、物価上昇に負けないサプライチェーン全体の取引適正化を求められています。

4月には「食品産業の発展に向けた計画認定制度について」 食糧の持続的な供給に関する法制化 と題し、政策発表を行っています。

 

その中で合理的な費用を考慮した価格形成と食品産業の事業活動の促進の一体的な検討という項目もあり、エネルギーコスト、労務費の上昇部分についても価格転嫁していますか。 と価格転嫁を奨励しております。

只、物流問題の時もそうでしたが、私が出席した甘味に関する情報交換会でこうした政策は売り手よりも買い手に周知徹底していただきたい旨発言しました。 どうしてもバイイングパワーの方が強いからです。 売り手が提供価値を上げる努力をすることも我々の重要課題ですが、社会全体が経済の好循環を実現できる環境を作っていただく事は必要だと思います。

 

 

今日ここにお集まりの皆さんにも現実の商売の中で、近江商人が目指した三方よしの精神を実践していただくきっかけとなれば幸いです。 そして政府が推し進める合理的価格形成を実行することで、精糖業界を活力ある魅力的な業界にしていこうではありませんか。

 

それでは以上で講演を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 

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